主な作家(工房) | ||
ブリュー 1867〜99 |
Bru (1867〜83 Bru Jeune et Cie, 1883〜89 H.Chevrot, 1889〜99 P.Girard) |
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主にファッション・ドールやベベ、キャラクター・ドール等を製作した。また衣装も自社で製作していて、その評価はかなり高かった。
ブリューは数々のパテントを取ったことで知られている。 1867〜69年の間にキッド革製のボディの中にパパ・ママと泣く仕掛けがあるファッション・ドールの他、笑い顔と泣き顔の二つの顔を持つサプライズ・ドールの特許、 自由にポーズが取れる様に関節部分に木釘の接合法を用いた、木製ボディで特許を得ている。 ファッション・ドールではスマイリング・ブリュー(通称モナ・リサ。レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナ・リサの微笑」の絵のように微笑んだ口元をしていることから、通称モナ・リサと呼ばれていたが、 最近のF.Theimer氏の説によるとナポレオン3世の后ユージェニーがモデルになったとも言われている)をはじめ、他のタイプのヘッドがあるが、一部はバロアやゴーチェからヘッドを購入していた。 ヘッドのマークとして、アルファベットの刻印が付いていることが多く、これはサイズを表わしている。 ベベでは一番古いタイプでBebe Breveteという商標のものから、のマークがあるサークル・ドット、そしてBru・Jneの刻印マークの入ったブリュー・ジュン、またミルク飲みで知られているBebe Teteurなどがある。 ボディはキッド革製にビスク・ハンド、木やコンポジションなどで作られた。 他に黒人や中国人、そして日本人をモデルにした人形も作られた。 シャヴロウの時代はまさにブリューの最盛期であり、「25のパテントを開発したベベ・ブリュー」と書いた広告を出していた。彼の時代に万博で金メダルをいくつも受賞している。 ジラールが後継者になってからはメカニカルなものに力を入れ、「パパ・ママ」と話すタイプや、歩きながら投げキッスなどをする人形も作られた。 |
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ジュモー 1842〜99 |
Jumeau (1842〜77 Pierre Jumeau, 1877〜99 Emile Jumeau) |
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最初ピエールはドイツのパピエ・マーシェ製やチャイナ製のヘッドを使ったファッション・タイプの人形やイギリスのワックス・ドールを扱っていた。人形のヘッドは他社から仕入れて、自社で組み立てを行い、衣装を着せて、発売元としてやっていたようである。
ジュモーはその頃から衣装を重要視していた。
1851年ロンドンで開催された第1回万国博覧会で、人形の衣装部門でメダルを受賞したが、人形本体に関しては賞賛されなかった。 息子のエミールが製作に加わる1867年頃には、品質も向上し量的にも増大していった。 1872年には自社で初めてビスク製ヘッドを作るようになったが、それ以前はブランポーやゴーチェ、バロア社などでヘッドを作らせていた。 1867年の万博で銀メダルを受賞し、その後アメリカやヨーロッパの万国博覧会で金メダルを5回受賞したが、1878年のパリ博で金メダルを受賞したことを機に、ボディに「JUMEAU MEDAILLE D'OR PARIS」のスタンプ・マークが付けられるようになった。 1880年頃まではベベのヘッドにはマークは付けられず、ファッション・ドールのヘッドと同様、サイズを表わす番号だけが付いていた。 数々の豊かな表情のファッション・ドールやポートレイト(アーモンド・アイやE.J.ポートレイトを含む)、ロング・フェイスなどと呼ばれる名作の他、黒人や東洋人をモデルにしたヘッドにそれらの国の民族衣装を着せたもの、泣き顔や笑顔のキャラクター・ドールも残されている。19世紀後半には歩くタイプや蓄音機を内蔵したメカニカル・ドールも作った。 1880年前後からは他の人形メーカーへのヘッドの供給ばかりではなく、当時のパリの大手オートマタ・メーカーであるランベールやルレー・デキャンなどにもヘッドを供給していた。 |
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クレイモン 1866〜75 |
Clement (Pierre Victor Clement) |
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ファッション・ドールを製作。
ビスク製ヘッドは他社で製作させ、自社ではボディのみを製作した。ボディはPressed‐leather と呼ばれる特殊な革製(金属製の型を使い、その上から革をプレス成型し、表面を膠やオイルを使用した樹脂で硬くしている。中空構造のため、軽くて丈夫であることで定評)。 関節部分にテノン・ジョイント(一方にほぞを作り、他方に差し込んで木釘でとめる接合法)を用い、自由に動かすことができる。 クレイモンはもともとは靴のメーカーであったので、このような特殊な技術は靴作りから学んだものと思われるが、このタイプのボディの製作にはあまりにコストが高くかかりすぎたため、短期間で製造を打ち切った。ボディの形はユレーのグッタ・ペルカ製のものと似ている。 |
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ユレー 1850〜1920 |
Huret (Leopold Huret, Huret et Cie, Huret et Lonchambron) |
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ファッション・ドールやベベ、衣装類、家具などを含む人形の小道具等製作。
人形は専用トランクに入れられ、沢山の着せ替え服・アクセサリー付きで売られた。 チャイナ製とビスク製ヘッドがあり、目はガラス目もあるが描き目のものが多く、ふっくらとした丸顔で首が短いのが特徴である。 1850年頃レオポルドの娘アデレイド(Adelaide)が製作に参加するようになった。彼女はその頃から活発になり始めた子供教育に人形玩具が欠かせないものであると信じ、良質の人形製作に力を入れ、1855年のパリ博で賞を得ている。そのときのリポーターのコメントによると「人形は全てにおいて素晴らしい出来栄えです。見事な技術力を持ち、特に衣装のセンスは良く、この部門においては最高のものです。残念なことに値段が高すぎるので世界中に広く売るのは難しいですが。」実際に結果はその通りで、当時一番高価だったユレーの人形はごく一部の人しか所有できなかった。 1861年ヘッドとショルダーの接合部分が前後左右に自由に動かすことのできる「スウィブル・ネック」を考案し、それまでのヘッドとショルダーが一体化した「ショルダー・ヘッド」の人形よりもっと表情をつけやすくした新しい接合方法として特許を得た。 ボディは初期の頃はグッタ・ペルカ製(マレーシア産の木から採れる樹液を乾燥させたゴムに似た物質で、一見頑丈に見えるが非常にもろく壊れやすいという難点があった)、後期には金属製や木製のものもあった。 ヘッドにマークのあるものは少なく、時々胴の部分にHURETのスタンプ・マークや刻印マークが付いていることがある。 |
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L.ペロン 1864〜84 |
L.Peronne (Lavallee‐Peronne) |
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ファッション・ドール、べべ、ベイビー・ドール、衣装、アクセサリーの発売元。
ヘッドはバロアなどから、またボディも他社で製作させペロンの店で衣装を着せ付けし「A La Poupee de Nuremberg」という名前の店で販売した。 1870年にこの店は「Journal des Demoiselles」と「La Poupee Modele」のマガジンで推薦された唯一の店で、他にベイビー・グッズや子供服なども扱っていた。 人形は45cmの身長でボディはテノン・ジョイントの付いた木製が多く使われた。胸元にマダム・ペロンの名前と住所を記した紙ラベルが付いている。 LILY(女性名)という人形の衣装のパターン・ブックなどを作ったことで知られている。 |
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ローメル 1857〜80 |
Rohmer (Marie Rohmer) |
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主にファッション・ドールを製作。
チャイナ製とビスク製ヘッド、描き目とガラス目がある。 ショルダー・ヘッドの人形が多いが、1858年に首が左右に動く接合法(フランジ・ネック)で特許を得た。これはスウィブル・ネックとは違い、上下には動かせない。 ボディは中におがくずを詰めたキッド革製のものが多く、ヘッドの素材に合わせてチャイナ製手足やビスク製手足がついているものもある。大腿部の部分は他社の物と違っていて、一見パンタルーンをはいたような形に作られている。またウェスト部分にはストッキングを止める紐が付いていることがある。 首が短く、丸く膨らんだ頬、日本でいう下膨れのおたふく顔で、これは当時のヨーロッパでは美しいとされた顔立ちであった。なかにはトランク付きで着せ替え服入りで売られた人形もある。 |
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シモンヌ 1839〜78 |
Simonne | |
ファッション・ドール、べべ、メカニカル・ドール、衣装やアクセサリーなどの発売元。
ペロンと同様、自社で人形は製作せずにスタイナー、ジュモー、ゴーチェなどの他社にヘッドとボディを作らせ、自社で衣装を着せ付けして販売していた。 1867年のパリ博で機械仕掛けの人形を出展し賞を取り、話題になった。 ファッション・ドールのヘッドにはマークはなく、時々ボディにスタンプ・マークが付いていることがある。またスタイナーのベベやジュモーのボディにもシモンヌの紙ラベルが貼られていることがある。 ボディは革製、キッド革を被せた木製など種々なタイプがある。 |
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バロア 1858〜77 |
Barrois | |
主にファッション・ドールやアクセサリーを製作した。またドイツ製のヘッドも扱う卸業もしていた。
チャイナ製とビスク製ヘッド、描き目とガラス目がある。ボディはキッド革製が多いが、木製にキッド革を被せたものなどもある。 ショルダー・プレイト(肩から胸の部分)にE.Bの刻印マークが付いているものがある。 バロアは一時期ブリューやジュモー、ペロン、オートマタ・メーカーのヴィッシィーにもヘッドを供給していた。 |
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F.ゴーチェ 1860〜1916 |
F.Gaultier | |
ファッション・ドールやベベのヘッドやパーツを製作。他にラベリー&デルフィーユ、プティ・デュモンティエ、ファルク・ロッセル、R.コードニエー、A.テュイエ、ヴィッシィーなど、数十社の人形・おもちゃメーカーにヘッドを供給していた。
F.ゴーチェとして発表された人形にはゲズランド社をはじめ他社で製作した種々のタイプのボディがあり、古いものではキッド革製、金属製の骨組みの入ったストッキネット製(メリヤス編みの布地)、木製そしてコンポジション製などがある。 ベベのヘッドにはF.Gの刻印マークがあるが、ファッション・ドールには必ずしも付いていない。 またゲズランド社はF.ゴーチェからヘッドを買いゲズランドの人形として販売していた。 |
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J.スタイナー 1855〜1908 |
J.Steiner (Jules Nicholas Steiner) |
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元々時計メーカーであったスタイナーはファッション・ドールやベベを主に、他社より早い時期に機械仕掛けのメカニカル・ドールを製作。頭や手足を動かしパパ・ママと話すタイプや、横にすると泣くもの、歩く人形なども作った。
また耳の裏にレバーを取り付け、手動で目を開閉させるワイヤード・アイなど、種々のパテントを取得した。 ベベにはA、B、C、D、E、F、Gなどのマークの入ったヘッドがあり、それぞれ異なるタイプの魅力的な人形である。また日本人形から影響を受け作られた人形があり、私たちには馴染みやすい顔立ちや体つきのものが多い。(1860年ごろに作られた人形にモッチマン・タイプと呼ばれる人形があるが、それは日本の市松人形の風貌や体の構造に影響されて作られた) 体はコンポジション製(パピエ・マーシェ製もそう呼ぶ)なのだが、他社のコンポジション製ボディと比べ紙の割合が多いので、非常に軽く、且つ比較的丈夫である。ボディにはスタンプや刻印マーク、また紙ラベルが付いている。 1889年パリ博で金メダルを受賞、1891年にJ.スタイナーは引退したが、その後も数々の後継者が歩く人形やフェニックスなどの人形を発表した。 |
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トゥイエ 1875〜93 |
A.Thuillier | |
べべの発売元。
A.Tの刻印マークのあるベベが発売されたが、実際に人形を作っていたかどうかは定かではない。 1881年のF.ゴーチェの財産目録の中に未決済分としてA.トゥイエなども取引先として記されていたことから、一時期F.ゴーチェの作ったヘッドを使っていたものと思われる。 また後期のA.Tは上下に歯の付いたスタイナーCタイプやGタイプにもよく似ていることから、スタイナーにヘッドを作らせていた可能性もうかがえる。 ボディは関節部分にガゼット(マチ)を付けたキッド革製にビスク・ハンド、木製、コンポジション製など種々なタイプのものがある。 |
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ダネル社 1889〜95 |
Danel et Cie | |
「Paris Bebe」で知られるベベを製作。
元々ダネルはジュモーの工場のディレクターであった。
1889年、ダネルは独立してジュモー工場の向かいの場所に工場を設立した。 彼はジュモーからヘッドを作るためのモルド(型)や道具を借り、ジュモー工場から職人たちを引き抜いていった。 その上、ジュモーのヘッドやボディを持ち出し、それをコピーして人形を作ったということで1890年ジュモーはダネル社を相手取り訴訟を起こし、結果的にはジュモーが勝訴したという資料がF.THEIMER氏から出されている。 その後はジュモー社が「Paris Bebe」の製作、販売権を得た。 ヘッドには時々TETE DEPOSE. PARIS BEBE のスタンプが付き、ボディにはエッフェルタワーのマークの下にPARIS-BEBEとマークが付いている。 |
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プティ & デュモンティエ 1878〜90 |
Petit et Dumontier | |
ベベの発売元。F.ゴーチェで作らせたヘッドにP.Dの刻印マークを入れ、ボディは木製のボール・ジョイントを関節部分に使ったコンポジション製、手の部分は金属製。
「壊れにくい人形」ということをPRし、1878年と1889年にパリ博に人形を出展した。 顔立ちは初期のシュミットに似た顔もあり、大きな額、下がった目尻、膨らんだ頬の個性的な表情をしている。 |
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S.F.B.J 899〜1930 |
Societe Francaise de Fabrication de Bebes et Jouets | |
主にベベ・タイプ、キャラクター・ドールそしておもちゃなどを製作。
19世紀の後半になるとドイツがより安いコストで人形を大量生産し始めたので、経営に行き詰まったジュモー、ブリュー、ラベリィー&デルフィーユ、フレイッシュマンなど数十社が合併して作られた会社。 ほとんどのヘッドに型ナンバーのマークが入っている。 従来のちょっと不健康そうな白い肌の美しいベベとは異なり、健康的な笑顔や泣き顔、ふくれっつらなど、子供の表情を写実的にとらえた作品が数多く作られた。 またジュモーは工場をS.F.B.Jに提供し、この新しい合弁会社になってからもジュモーの型を使い、ベベ・ジュモーは作り続けられた。 |
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シュミット 1854〜91 |
Schmitt | |
最初はおもちゃの卸業に関わっていたらしいが、1867年におもちゃのメーカーとして登録されている。
1870年代後半からベベの製作をはじめ、それぞれ個性のあるヘッドを作った。 ヘッドのタイプには3種類あり、初期のものは首が短かく、丸顔で真っ白な肌に、睨むような鋭い目をした顔が多い。 この手のヘッドは全くマークのないものや、Bte S.G.D.Gの刻印マークだけ付いたものがある。他に半開きの口元で極端に頬が膨らんだ面長のもの、そして後期ではジュモーに似た感じのやわらかい顔のものが作られた。 これらのヘッドにはクロス・ハンマー・マークに「S C H」のマークが入っていることがあり、またボディの臀部にも同じマークがある。 ベベのボディは1種類のみで、他社の人形と違い判別しやすい。関節部分に8つの木製ボール・ジョイントを使ったコンポジション製ボディ。 |
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シモン&ハルビック 1870〜1925 |
Simon & Halbig | |
ファッション・ドールやべべ、キャラクター・ドール、ミニチュア・オール・ビスク・ドール、衣装などを製作していた。
初期の頃はフランス市場のために作っていたものが多く、それらはフランス人形として売られており、フランス製ビスクよりも優れたものも沢山あった。 1870〜80年代のファッション・ドールはマークの付いていないドーム型ビスク・ヘッドがほとんどであった。 ボディは関節部にテノン・ジョイントを用いた、布を被せた木製で、手足はビスクのものもある。 べべの接合は関節部にボール・ジョイントを用いたコンポジッション製ボディが使われた。1880年代後半には939や949などの刻印マークの付いたものや、150や151などの型番号が付いたキャラクター・ドールがある。 通常S+Hと型番号がヘッドに刻印されている。黒人や東洋人の表情を写したエスニック・シリーズでも有名で、他にジュモーやカマー&ラインハルト、またオートマタ・メーカーのランベールやルレー・デカンにもヘッドを供給していた |
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カマー&ラインハルト 1886〜1925 |
Kammer & Reinhardt | |
トレード・マーク「K(スター)R」で知られるこのメーカーは、主にキャラクター・ドールを扱った発売元。
ビスク製ヘッドの人形には「K(スター)R」「SIMON & HALBIG」と両社のマークと、その下に型番号が刻印されている。 子供の表情を写実的に捉え、個性を強調したキャラクター・ドールは今日も欧米諸国のコレクターでは大変人気がある。 なかには型番号107「CARL」109「ELISE」114「HANS & GRETCHEN」などモデルになった子供の名前を付けた人形もあった。また目が左右にキョロキョロと動く装置を付けた「フラーティング・アイ」や、開いた口に舌や歯が付いたものもある。 20世紀になるとセルロイドなどビスクとは異なった素材でも人形を作り続けた。 |
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J.D.ケスナー 1805〜1925 |
J.D.Kestner | |
初期の頃は木製、パピエ・マーシェ、ワックスなどの素材で人形を作っていた。
1870年前後にチャイナやビスク製ヘッドを作り始めたが、その頃の初期のビスク・ドールはフランス市場の為に作られ、フランス人形として売られていた。 (1870年以前のフランスのファッション・ドールなどはドイツで作られたものが多い。) 1880年頃にはべべ・タイプ、1900年に入るとキャラクター・ドール、1910年頃には「ギブソン・ガール」と呼ばれる新しいタイプの大人の姿をした人形などが登場した。 他にも221や165の型番号のグーグリィー・アイなどユーモアがある、おどけた表情のものや中国人や日本人などイエロー・ビスクのオリエンタル・ドールなどを作った。 ヘッドにはJ.D.Kと型番号が刻印されている。またケスナーに限らずドイツ人形のほとんどに「Made in Germany」と国名が刻印されている。 |
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G.ホイバッハ 1820〜1925 |
Gebruder Heubach | |
初代のホイバッハはゾンネベルグで人形の商いをしていた。他のドイツのメーカーにもヘッドを供給し、また1860年代にはパリにもエージェントをおいていたことからして、フランスにもヘッドやボディを売っていたと思われる。
20世紀に入るとキャラクター・ドールを主に製作したが、その多くの人形の目には「インタグリオ・アイ」(描き目だが、目のまぶたのラインに沿って白いハイ・ライトの点を描き、瞳の部分が沈み彫りになった目)と呼ばれる特殊な方法で目を描いている。 またカツラを使う代わりに、型取りにされて焼かれたヘアー・スタイルのヘッドも多い。 ヘッドのクオリティーのわりにボディの質はあまり良くない。ほとんどのヘッドにHEUBACHの刻印マークが付いている。 |
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